老害を論語の有名な句から紐解いていく
こんにちは。かつみんです!
よろしくお願いいたします!
ブログでは日ごろ思っていることを書いていきたいと思います。
Twitterやっています。ほぼ依存症気味かというくらい稼働しています。Twitterは思ったことをすぐ、短文で書くことができ、忘備録的にもなり、またたくさんの人に一気に知らせることができるので、ついついTwitterにはりついてしてしまいますね。自分の内面はすべてここに吐き出していますので、ぜひとも見ていただけたらなと思います。
ぜひぜひ覗いていってください。
なんらか反響をいただけると非常にうれしいです。
さて、本題に移ります。
今回は「老害を論語の有名な句から紐解いていく」ということで書いていきます。
最近東洋哲学に没頭しており、勉強しています。Twitterで知り合った肘さんという方が失恋フェスという企画をしており、その一環で座禅を組みに行ったり、『論語』や『菜根譚』といった本を読んだり、『山川の高校倫理』をもう一度読み勉強したりしています。こころの働きを知ること、こころの変化に応じて対処すること、困難に立ち向かうこころを作ることは、生きていくうえで非常に大切です。
https://twitter.com/kfo_hiji/status/1053969803805786114
#失恋フェス 第4弾!
— 肘🐱失恋フェス(禅) (@kfo_hiji) October 21, 2018
総勢5名で座禅に行ってきました!
贅沢な時間の使い方だった気がする🙆♀️✨
ご参加くださった皆さまありがとうございました!!良き休日〜!!
引越落ち着いたら今度こそバンジー計画練るぞ💪💪💪 pic.twitter.com/rfkXlALVgh
東洋哲学は科学に重きを置く西洋哲学よりもより実践的な面があります。西洋哲学では事象を理論に落とし込みます。「事象を理論化しそれを頭で理解し行動を変え習慣化していく」という合理的で建設的な方法によってこころや日常を変えていきます。もちろんそのような方法は科学的は理論的なので、実践できる人にとっては非常に効果的だと思われます。それに対して東洋哲学は事象を事象で捉えることに重きを置いています。例えば「悟り」という事象そのものを言語化することは非常に難しい、これは明らかですね。「悟り」は「悟り」なので、「悟り」を言葉の上で理解できたとしても、「悟り」に至ることはできないわけですね。
座禅を組むと、呼吸が深くなり、心臓の鼓動が全身で感じることができ、段々体が温まってきます。生理学的にはもしかしたらこの事象を科学的に証明できると思います。しかし、「こころのはたらきをよくする」ということが目的であれば、「事象を理論化しそれを頭で理解し行動を変え習慣化していく」ことよりも「座禅を組む」ほうがよりシンプルで実践的です。
さらに日本は東洋にある国で、西洋人よりも一日の長がありますので、東洋哲学をすんなり理解することができると思います。東洋哲学を学ぶことは日本人にとって強みにもなるかと思いますので、ぜひともお勧めしていきたいですし、自分ももっと学んでいきたいと思います。
さて、今回の本題の「老害を論語の有名な句から紐解いていく」に入りたいと思います。
『論語』は古代中国の孔子とその弟子との対話をまとめたものです。諸子百家と呼ばれる思想家の中の儒家という学派に属します。需家は仁徳や礼儀を重んじる流派です。
さて、そもそも老害とはなんでしょうか。今回は一般的に考えて、「時代遅れのおじさんやおばさん」「変化に対応できない人々」「社会のルールを守らず、迷惑をかける老人」といったところでしょうか。
確かに昨今では時代の変化が著しく、特にテクノロジーの発展により、それについていけない年配の方々が増えています。またそれに伴って、考え方や社会のルール、モラルが変わってきていて、今までやってきた経験や知識が通用しないといった悲鳴が世間から聞こえてきます。どこからがハラスメントなのかわからないなんて声もありますね。
もしも自分がその年配の立場だったら、どうしたらいいのかわからず、自分も老害になってるかもしれません。そう考えるともしかしたら若者だけでなく、年配の方々も生きづらい時代かもしれませんね。
そんな混迷を極める現代ですが、実は紀元前5世紀に生まれた『論語』が非常に的確なことを突いているんですね。それがあの有名な句です。
子の曰わく、吾れ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
これは論語の中でも一番といっていいほど有名な句ではないでしょうか。しかし、この句には続きがあります。この続きこそが非常に重要なのです。
子の曰わく、吾れ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲するところに従って、短(のり)を超えず。
60になると人の言葉が素直に聞けるようになり、70になると思うがままにふるまっても道を外れることはなくなった。
ここですね。この60になると人の言葉が素直に聞けるようになる。このことが非常に重要です。
この60になって他人の言うことを聞かず、自分勝手で横暴、頑固になっていくのではなく、むしろ他人の言うことが耳に入ってくるようになることが大事と説いているんですね。
確かに現代では実績を積んだ人が褒められるので、年齢を重ねれば偉くなっていき、他人の言うことよりも自分のやってきたことのほうが良いと信じ込んでしまいます。そうではなく、知識と経験を積んできたのだから、むしろ他人の意見がより受け入れられるようになることが大事というわけなんですね。
そしてその先に70になっても羽目を外しすぎないようになっていく、というわけですね。少なくとも孔子先生自身はそうなっていったと教えてくれています。
60になったら今までの知識や経験を生かして、他の人の意見をよく聞くようにする、これを今後の人生において胸にしまい、大事にしていきたいと思います。
この句は論語の一部で、ほかにも有り難い句がたくさんありますので、この際に論語をぜひ読んでいただけたらなと思います。きっと人生に役立てることばかりです。
今回はここまで。最後までお読みいただきありがとうございます。